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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)985号 判決

控訴人 原告 碧井義[王光]

訴訟代理人 松島政義

被控訴人 被告 寺崎勝久

訴訟代理人 高木廉吉

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十九年九月四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求める旨申立て、被控訴代理人は主文第一項と同旨の判決を求めた。

控訴代理人は本訴請求の原因として次のとおり述べた。即ち、

被控訴人は東京法務局所属公証人宮地貞頴作成第一四〇六九号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基く強制執行として訴外原田薫を債務者として東京地方裁判所に対し、右債務者所有の

(イ)  東京都豊島区池袋二丁目千七百八番地所在、家屋番号同町千六百九十四番

一、木造トタン葺平家一棟 建坪十九坪

同所同番地所在、家屋番号同町千六百九十五番

一、木造トタン葺平家一棟 建坪十六坪

(ロ)  同所同番地所在、家屋番号同町千六百九十六番

一、木造スレート葺平家一棟 建坪十一坪七合五勺(実測建坪 十二坪二合五勺)

外四棟の建物の強制競売を申立て、同庁昭和二十五年(ヌ)第一〇八号不動産強制競売事件として係属中、昭和二十六年九月十八日の競売期日において、控訴人は右(イ)及び(ロ)の物件についてその最高価競買人((イ)の物件の競買価額は金六万一千七百円、(ロ)の物件の競買価額は金六万円)となり、競買価額の十分の一に当る保証金を執行吏に預託し、翌十九日執行裁判所からその競落許可決定の言渡を受けた。

然るに翌二十日、債務者原田薫は被控訴人を被告とした請求異議訴訟を本案訴訟として強制執行停止決定を受け、即日これを執行裁判所に提出したので、前記競売事件はその後の手続が停止せられるに至つたところ、昭和二十八年三月二十五日に至り、該請求異議訴訟の口頭弁論期日において、被控訴人は右原田薫との間に債権元金三十万円のうち金七万円を免除し、なお利息、損害金、強制競売手続費用の各請求権を放棄し、強制競売申立の取下をすることを内容とする裁判上の和解をなし、債務の一部弁済を受けた上、翌二十六日執行裁判所に対し右和解の成立を理由として前記強制競売申立の取下書を提出した結果、これによつて本件強制競売事件は終了したものとして処理され、直ちに執行裁判所から該競売の基本たる債務名義の返還を受け、更に同年十月一日付で同裁判所から強制競売申立登記の抹消登記嘱託書を受け、これを所轄登記所に提出した結果、同月十二日その抹消登記がなされるに至つたものである。

然しながら、不動産の強制競売においては、競落人は競落許可決定によりその目的物件の所有権を取得するものであることは民事訴訟法第六百八十六条によつて明かであり、その所有権取得は競落許可決定の言渡(執行裁判所)又は送達(抗告裁判所)によつて直ちに効力を生じ、あえてその確定をまたないのであつて、競落許可決定が抗告によつて取消されるか又は競落人が代金の支払を怠つたときにこれを解除条件として競落人の所有権が消滅するに至るものであるから、控訴人は前記競落許可決定によつて既に本件(イ)、(ロ)の建物所有権を取得したものであることは明かである。従つて被控訴人において若し控訴人の右所有権取得に牴触すべき行為をなすには控訴人の同意を要すべきは理の当然であろう。

然るに被控訴人は何等控訴人に諮るところなく、全く恣に前記の如き裁判上の和解をなして本件強制競売の基本たる債務名義の執行力を排除させ、更に該強制競売手続の進行を阻む行為である強制競売の申立取下、債務名義の取戻、申立登記の抹消登記をなし又はなさしめ、上叙一連の行為によつて本件強制競売手続を終了させた結果、控訴人は最早本件強制競売手続上その競落代金の払込をなしその所有権取得登記を受けることができなくなつたのであつて、控訴人の取得した前記建物所有権は永久にその権能の行使が不能となり結局右所有権は消滅に帰したものというべきである。

然らば控訴人は被控訴人の右違法行為によつて前記建物の所有権を喪失しこれに相当する損害を蒙つたものといわなければならない。

(一)  ところで第三者が故意又は過失によつて債権の目的物を滅失させたときは不法行為となり、又第三者が債務者と共謀して債務の履行を不能ならしめたときは不当行為が成立するから、被控訴人の違法な競売申立取下によつて前記建物の所有権を喪失した控訴人は、右取下をした被控訴人に対し不法行為を理由として損害の賠償を求め得べきであることは理の当然である。そもそも控訴人が前記建物を競落するに至つたのは、昭和二十六年九月十八日の競売期日において被控訴人の代理人から依頼があり、控訴人においてこれを承諾した結果、前記(イ)、(ロ)の建物は控訴人がこれを競落し、その余の競売目的物件は債権者たる被控訴人がこれを競落する旨の契約が成立し、これに基いて控訴人は右(イ)、(ロ)の建物を競落したものであること、昭和二十六年ないし二十八年は東京都内においては不動産の価格が戦後最高の急騰を重ねたことは世に顕著な事実であること、被控訴人は債務者原田薫との間の前記裁判上の和解において、故らにその第四項として、本件強制競売事件の「取下げにより他から損害賠償の請求があつたときは原告の負担において解決すること」を約定していることから考えれば、被控訴人は本件強制競売申立の取下により控訴人の権利を侵害することを知つていたものであり仮に知らなかつたとしても知らなかつたことにつき過失があるものといえる。従つて被控訴人は故意又は過失により控訴人の権利を侵害したものとして不法行為上の責任を免れない。

(二)  仮に然らずとするも、

(イ)競落許可決定があつた後は、競売申立人は競落人の同意を得なければ競売申立の取下ができないのであるから、被控訴人は控訴人の同意なくして競落人たる控訴人の権利(民事訴訟法第六百八十六条による権利)を害する行為をしてはならない法律上の義務がある。

又民法第百二十八条によれば、当事者は条件の成否未定の間においては条件の成就によりその行為から生ずべき相手方の権利を害することができない旨定められているところ右当事者なる語は競売申立人にも適用又は準用があるものと解すべきであるから、被控訴人は相手方たる控訴人の利益を害する行為をしてはならない義務がある。

而して又前記のとおり控訴人の前記建物競落は被控訴人との間の契約ないし依頼に基くものであるから、被控訴人は控訴人に無断で本件強制競売申立の取下をなすべからざる義務がある。

然るに被控訴人はあえてこれらの義務に違反して本件強制競売申立の取下をなしたのであるから、被訴人に対しこれが損害賠償の義務がある。

(ロ)又強制競売の申立人は競落許可を受けた競落人との関係では売買契約における売主と同様の地位にあるものと解すべきであるから、被控訴人は控訴人に対し自己の責に帰すべき事由により履行不能を来したものとして民法第四百十五条によつてもその損害賠償の責に任ずべきである。

ところで履行にかわる損害賠償額は給付請求権が消滅したときを基準とすべきものであり、又不法行為により物を滅失毀損したときの賠償範囲は滅失毀損当時の交換価格であることに照応すれば、本件において被控訴人が控訴人に対して責に任ずべき賠償額の範囲は、被控訴人が前記裁判上の和解及び本件強制競売申立の取下をなした昭和二十八年三月頃を標準として算定されるべきことは疑を容れない。而して昭和二十八年三月頃における前記(イ)の物件の時価は金七十万円、(ロ)の物件の時価は金二十五万円であつたから、右合計金九十五万円から本件競落代金合計金十二万一千七百円を差引すれば、結局控訴人は被控訴人に対し金八十二万八千三百円((イ)につき金六十三万八千三百円、(ロ)につき金十九万円)の損害賠償債権を有する訳であるが、本訴においては右(イ)のうち金三十二万円、(ロ)のうち金十八万円右合計金五十万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たる昭和二十九年九月四日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

被控訴代理人は答弁として、控訴人の主張事実中、被控訴人が控訴人主張の東京地方裁判所昭和二十五年(ヌ)第一〇八号不動産強制競売事件の競売申立をなしたこと、右事件につき昭和二十六年九月十八日の競売期日において控訴人が本件(イ)、(ロ)の建物につき最高価競買人となり、翌十九日右執行裁判所において右建物につき競落許可決定が言渡されたこと、右競売事件の債務者原田薫がその債権者である被控訴人を被告として請求異議訴訟を提起し、同月二十日強制執行停止決定の正本を右執行裁判所に提出したため、右強制競売事件はその後の手続が停止せられるに至つたこと、前記請求異議訴訟においてはその後当事者間に裁判上の和解が成立し、昭和二十八年三月二十六日被控訴人が債務の一部弁済を受けて前記強制競売申立の取下書を執行裁判所に提出したこと、執行裁判所がこれにより本件強制競売事件は終了したものとして処理し、強制競売進行の基本たる債務名義を被控訴人に返付し、且つ、強制競売申立登記の抹消登記がなされたため、控訴人は競落代金の払込をするに由なき事態となつたことはこれを認めるが、その余の事実は争う。

被控訴人は、債務者原田薫の提起した請求異議訴訟において元本三十万円と損害金十九万円余を金二十三万円に減額する等の裁判上の和解が成立し、債務全額の弁済を受けたので本件強制競売申立を取下げたのである。

不動産強制競売手続において競落許可決定の確定後、債権者は競落人の同意なくして競売の申立を取下げることができる。従つて被控訴人のなした本件競売申立の取下は違法ではないから、不法行為を構成するものではない。

民事訴訟においては和解は常に尊重せらるべきものであるが、競落人の地位は更にこれよりも優るものとして尊重せらるべきであろうか。本件において控訴人は競買価額の十分の一に相当する金六千百七十円を預けて競落許可決定を受けたのであつてこれが控訴人の払つた唯一の犠牲である。被控訴人は債務者原田薫に対する金三十万円の貸金とその利息債権の弁済を受けるため本件不動産強制競売の申立をなしたのであるが、若い女性である右原田薫の立場に同情し、係裁判官の勧告に従い、昭和二十八年三月二十五日自己の債権を金二十三万円に減額しその余を免除することとして和解したのである。これと控訴人の前記犠牲とを比較すると両者の間には大きな隔りがあるものといわなければならない。又右和解の目的が達せられなかつた場合において債務者原田薫の蒙る損失と競落の目的が達せられなかつた場合における控訴人の蒙る損失とを比較して見ると、債務者においては自己の住宅と生活の資源たる貸家を失うに対し、控訴人は競落家屋を他に転売して儲けることができないという結果を生ずるに止まるから、前者の損失と不幸は後者のそれよりも著しく大きいといわねばならぬ。(控訴人は不動産を競落してこれを他に転売することを営業とする者である。)若しも控訴人が競落したからとて右和解成立にかかわらず競売申立の取下を許さずして競売手続を完遂しなければならないとすれば、余りにも競落人の地位を偏重し、債権者、債務者の払つた犠牲を無視するものではなかろうか。

そもそも和解及び調停を尊重することは我が民事法制を一貫する大精神である。一の和解は百の判決に優るという諺は如何なる場合に適用しても誤りはないのである。而して競売申立の取下ということは和解により被控訴人の履践すべき一つの手続であり、競落は判決(本件における債務名義は公正証書であつたが、判決と同一の効力を有することはいうまでもない。)の執行手続にすぎない。

固より控訴人が競落しながら本件不動産を取得することができないのは気の毒ではあるけれども、和解を強制執行よりも尊重すべきものであるとするならば、和解が成立したにも拘らず競落人の同意がなければ競売申立を取下げることができないという見解は本末顛倒の論であつて、これを排斥すべきものと信ずる。被控訴人には控訴人主張のような過失はないと述べた。

証拠として、

控訴代理人は甲第一号証を提出し、乙号各証の成立はこれを認めると述べ、被控訴代理人は乙第一号ないし第九号証を提出し、甲第一号証の成立を認めると述べた。

理由

按ずるに控訴人の主張事実中、控訴人が昭和二十六年九月十九日被控訴人を申立債権者、訴外原田薫を債務者とする東京地方裁判所昭和二十五年(ヌ)第一〇八号不動産強制競売事件において本件(イ)、(ロ)の建物につき競落許可決定の言渡を受けたこと、右債務者原田薫が被控訴人を相手方として請求異議訴訟を提起し、同月二十日右執行裁判所に対し強制執行停止決定の正本を提出したため、右強制競売事件はその後の手続が停止せられるに至つたこと、被控訴人が前記請求異議訴訟において原告たる原田薫と裁判上の和解をなした結果、昭和二十八年三月二十六日執行裁判所に対し前記強制競売申立の取下をなしたこと、よつて執行裁判所はこれにより本件強制競売事件は終了したものとして処理し、強制競売の基本たる債務名義を被控訴人に返付し、又強制競売申立登記が抹消されたため、控訴人においてその競落代金の払込をすることができなくなつたことはいずれも当事者間に争がない。

而して抵当権の実行による不動産の任意競売事件については、その競落許可決定のあつた後は、競売申立人において任意にその申立の取下をなすことを許さず、ただ利害関係人(競落人を含む)全員の同意ある場合にのみその取下をなし得るものとすることは最高裁判所の判例とするところである。(最高裁判所昭和二四年(オ)第一三五号回復登記手続請求事件、昭和二十八年六月二十五日第一小法廷判決、最高裁判所民事判例集第七巻第六号七五六頁参照)而して強制競売事件については、民事訴訟法には、競落期日までにおける競売申立の取下に関する競売法第二十三条のような規定もなく、勿論競落許可決定のあつた後における競売申立の取下に関しては何等規定するところはないけれども、競落人の権利(民事訴訟法第六百八十六条並びに競売法第三十三条参照)その他利害関係人の利益保護の観点から考慮するときは、任意競売事件における場合と特にその理を異にするところはないと考えられるから、強制競売事件においても、競売申立人はその競落許可決定のあつた後は、該決定が取消される等により競落人がその権利を失わないかぎり、競落人の同意なくしてはその競売申立を取下げることができず、ただ競落人を含む利害関係人全員の同意を得た場合にのみ有効にその取下をなし得るものと解するを相当とする。従つて被控訴人において、本件強制競売申立人たる被控訴人がその申立を取下げるにつき競落人たる控訴人の同意を得たとの主張のない本件においては、右取下はその効なきものというべきであるから、本件強制競売事件は未だ終了しないと解すべきである。固より本件においては控訴人は、本件強制競売事件が、民事訴訟法第五百五十条所定の債務名義の執行力を排除する書面が執行裁判所に提出されたため、適法に終了した旨の主張をしないし、又成立に争のない甲第一号証(前記請求異議訴訟における昭和二十八年三月二十五日附和解調書)が右書面に該当するものとも認め難い。

なお、右説示に徴すれば本件強制競売事件は引続き東京地方裁判所に係属しているものと謂うべきであるが、執行裁判所が前記の如く競売申立の取下が不適法であるに拘らずこれを有効視してその手続を続行しない場合には、利害関係人はこれに対し民事訴訟法第五百四十四条により所謂執行方法に関する異議を主張して競売手続の進行を求むべきである。(前顕最高裁判所判例参照)

以上説示のとおり、本件強制競売事件は未だ終了しないからその終了により控訴人が前記(イ)、(ロ)の建物の所有権を喪つたことを前提とする本訴請求は爾余の点につき判断をなすまでもなく失当である。従つて控訴人の本訴請求を排斥した原判決は結果において相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 渡辺葆 判事 牧野威夫 判事 野本泰)

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